4)O.J・シンプソン、大逃走編

シンプソンは取り調べ中、左手の中指に絆創膏をしており、これはシカゴのホテルでコップを割った時に負傷したと証言。

 

しかし、刑事が自宅にも血痕があったことを伝えると証言がコロコロ変わって、怪しいのなんのって。

 

当然、取り調べの際にシンプソンは血液を採取され、これが現場の血痕と一致するかの調査が行われる。

 

3時間の取り調べがおわり、シンプソンは16時に解放され帰宅。

自宅にはシンプソンが逮捕された情報をかぎつけたマスコミがわんさかと集まる。

シンプソンは、3日間の自宅待機のハズだったが・・・

 

8000ドルの現金と拳銃をもって、自宅の前に詰めかける報道陣をしり目に裏口から脱出!

 

予想外かつ素早い行動に、マスコミは全く気付かない!

 

シンプソンの行き先は友人の”ロバート・カーダシアン”の自宅。彼にかくまってもらうのであった。

 

翌日6月15日にシンプソンは、敏腕弁護士の”ロバート・シャピロ”と面談。

 

さらに、同日に公の場にどうどうと現れてニコールの遺体と対面し、遺体に対して「アイム・ソーリー」を4回も言うのであった。

 

これは自供なのか?それとも守れなかった罪の意識なのか!?
(;´Д`)ノ

 

 

そして、事件から4日後に血液鑑定の結果が出る。

シンプソンの血液と殺害現場に残されていた血液型が一致!

もはや「O.J・シンプソン、アウト~」の状況で、6月17日に逮捕状が出されたのだった。

 

 

弁護士の”ロバート・シャピロ”へ「11時までに出頭しなければ強制連行するという」一報が届き、シンプソンをかくまっているカーダシアンと共にシンプソンに出頭するように促すも、シンプソンは手紙を書き出したり、「なんでこんな事になったんだぁ~、もう死にたい~」など騒ぎだして混乱状態

 

そこにやってきたのは、シンプソンの幼馴染でビルズではチームメイトだった親友の”A.C”。

 

彼が説得する空気になったので、カーダシアンは退席しちゃいまーす。

 

出頭する11:00になって警察が来たので、応対したカーダシアンがシンプソンの部屋に警察を案内すると・・・

あれ!?誰もいない!!!?
(゚ω゚;)

 

そこに残されていたのは、さきほど書いていた4枚の手紙のみ。

なんとシンプソンと”A.C”はまさかの逃走!

 

シンプソンは車内から友人ら22名に電話をかけまくったため、所在はすぐにバレてパトカーとのカーチェイス開始。

このカーチェイスは3大ネットワークで全米にLIVE中継され、ハイウェイに集まった人々は、かつてのフィールドの英雄であるシンプソンの方を「GO!O.J!GO!」と応援。
なんでやねん!( ̄Д ̄;;

 

さらに、このLIVE中継にみんな目が話せず、全米のあるピザ屋では80万枚ものピザの注文があり、当時の最高記録だったとか。

 

 

そんな全米の空気とは逆に、車内のシンプソンは自分で頭に銃を突きつけて家族の写真を見ているという、なんとも緊迫した状況。

運転している”A.C”も、「落ち着いてくれ!」と必至に呼びかけるしかない。

 

その一方で、シンプソンをかくまった友人のカーダシアンがシンプソンが残した手紙の内容を発表

 

その内容は「本当にありがとう、今までの素晴らしい人生に感謝する」と自殺する気マンマン

 

加えて、事前にA.Cから警察へ車内のO.Jの混乱した様子は伝えられていたため、カーチェスとはいえ逃走車は制限速度を守り、パトカーは一定距離をあけて刺激しないようにする、世にも奇妙なカーチェイスとなった。

 

2時間のカーチェイスの末に車はシンプソンの自宅に着くも、銃を頭につきつけたまま。

 

さらに2時間、車内のA.Cやカーダシアンらがシンプソンの説得にあたり・・・

21:00にようやく家族の写真を持って車から降りたのであった。

 

こうして、O.J・シンプソンはようやく逮捕されたのだった!

 

しかし、この事件。ここまではほんのプロローグ。

実はここからが本題なのだ!!

 

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