いまさらなタイトルですが
ドラフト直前ですが、ニュースの無いオフを乗り切る新企画「ざんねんなNFL辞典」の時間です。
お蔵入りしてた原稿があったので、完成させてみました。
文字通りアレのパクリですが、ドラフトで期待外れだった選手への残念な思いは並外れたモノではないので、温故知新ということで今にピッタリなネタでしょう。
記念すべき第1回はベタにジョニー・マンジールを取り上げます。
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QBジョニー・マンジール(Johnny Manziel)
本当は凄いぞマンジール!
“ジョニー・マンジール”はハイスクール時代に名が知れるも憧れの大学からはお誘いがなく、しぶしぶテキサスA&M大学に入学しました。
そこで小柄ながら自由すぎるプレーで無双しまくり、一気にスターダムに登り詰めます。
2012年は1年生ながら初のハインズマン賞はおろか あらゆる賞を総なめにしたでした。
環境の変化が人を変える
「ジョニー・フットボール」という言葉が生まれ快進撃を続ける頃はまだ幸せでしたが、彼を一躍ヒーローにした当時全米1位のアラバマ大を破った試合に関して、関係者は「試合後に知らぬ大勢の観客に取り囲まれるマンジールは明らかに動揺していた」と語っており、実は環境の変化に彼はついて行けてなかった事が後に分かりました。
酒と金は人をダメにする
マンジールの天才ぶりを現すエピソードとして驚くべきは、マンジールは部活以外では全くフットボールの話をせず、酒が大好きで遊びまわるパリピ野郎であったことです。
そして指をすり合わせる下品なポーズ「マネーサイン」を編み出します。
しかし、有名人となった彼にお金の問題が付きまとい始めます。
マンジールの活躍により、大学への寄付金は大幅にUP。
彼の代名詞である「ジョニー・フットボール」も商標登録され、ジャージも飛ぶように売れてマンジールが大きな経済効果を生み出しているにも関わらず、学生であり奨学金をもらってる身であるマンジール本人には一切お金は入らなかったのでした。
!∑(゜ Д゜)
これにマンジールは異を唱える動きも「学生は奨学金だけで十分」というのが体育連盟の揺るがない見解。
マンジールにお金に関する不満が募るばかりのところに、悪いブローカーがマンジールに金儲けの話をもちかけます。
「ある場所に行って、グッズにサインして、金庫を開けて中のものをもらっていくだけの簡単なお仕事」という裏技でマンジールは念願の利益を得るのでしたが、この行為がバレてマンジールは翌シーズンの8試合を出場停止になるのでした。
ルールはルールなんだけど、これは可哀そうだぞ。
不幸にもブラウンズに獲得される
カレッジで華々しい活躍をしたマンジールは、当然2014年のNFLドラフトにエントリーします。
しかし、酒好きや素行の悪さが手伝って獲得は全体22位でブラウンズでした。
このドラフトのQBの1番手の指名は全体3位のブレイク・ボートルス(ジャガーズ)なので、マンジールはQBとして2番手の指名、かつ、ブラウンズは先に全体8位でCB”ジャスティン・ギルバート”を獲得しており、ブラウンズとしても2番手の指名でした。
かつ、当時のブラウンズは獲得されたQBはキャリアが終わる墓場、通称「QBセメタリー」とも言わておりました。
NFL在籍はたった2年
この逆境を晴らすべく頑張って欲しかったのでしたが、2014年シーズンのプレシーズンで中指を立てるジェスチャーを行い物議をかもし出し、Week15のベンガルズ戦で初先発デビューするも30-0の完封負けでした。
(ベンガルズD#が既にマンジールのクセを見破っていたとのこと)
2年目の2015年シーズンに期待するも、練習嫌いのパーティーピーポーなので酒飲んで騒いでる動画が流出。
さらに、フットボール業界の神であるマニング兄弟の主催するキャンプを酒飲み過ぎて遅刻&早退という失礼すぎる所業を見せます。
他にもアル中でリハビリ施設送りになったり元恋人に暴力を振るったりと、まさにNFLを超えて人としても残念な事になりました。
ブラウンズは2015年シーズン終了時にマンジールを解雇。その後、NFLでマンジールを獲得するチームは現れず、NFLでのキャリアをたった2年という短命で終えたのでした。
おしまい
※NFL終了後のマンジールに関しては、当ブログの「マンジール通信」を参照してください。
※マンジールの物語の詳細はネットフリックスで配信されているドキュメンタリー「ジョニー・マンジールの栄華」をご覧ください。